佐賀県内を襲った大雨で、浸水被害の大きかった武雄市や大町町でも30日、復旧に向けた動きが本格化し始めた。ただ現場には流出した油が残り、大量の泥や散乱する家具などが片付けを阻んでいる。生活再建のめどが立たないまま、途方に暮れる人たちもいる。
流出「前に同じことあった」
大町町では、前日まで水位の高かった住宅地でも、30日朝には水が引いた。
ボートで避難した人がいた一方、2日以上にわたり家の中にとどまった人も。家族3人で2階にいたという50代男性は「ネコを飼っているので避難所に入れないと思い、ここで過ごした。これ以上長引くときつかったので、ほっとしました」と話していた。
自宅の玄関前で、泥や油をホースで洗い流していた70代の男性は「前にも同じことがあったのに」とこぼした。近くの住宅の壁には、1990年7月に起きた豪雨災害の時と今回の、2本の冠水の跡が残っていた。前回はひざ丈ほど、今回は胸のあたりまである。「たしかに今回の大雨は『想定外』だったが、最近はこういう災害がよくある。油のような影響のあるものを扱うところには、どうにか想定して防いでもらいたかった」
岸川マサノさん(73)は、2日ぶりに避難先の長女宅から自宅に戻った。兼業農家の長男を手伝って稲作をしていたが、農業機械は浸水。家財が散乱し、自宅の台所のシンクには黒い油がたまっていた。今年植えていたイネにはすでに油がしみこんでいるとみられ、収穫できても出荷はできないという。岸川さんは「もう言葉にならんよね」と肩を落とした。
佐賀鉄工所によると、今回流出した油は、熱処理用の冷却油。熱した鉄を冷やす役割がある。深さ約3メートルの油槽が八つあり、床に埋め込まれるような形で並び、ベルトコンベヤーに乗ったボルトが入って冷やされる。
鉄工所では、90年の大雨の時も水が入り込み、油が流出した。鉄工所は重量シャッターを設置したり、排水ポンプやオイルフェンス、土囊(どのう)を準備したりする対策をして同程度の雨が来ても防げるという判断をしていたという。
現在は従業員ら約200人が総出で吸着マットを使った回収作業や、油のついた草の撤去などをしているという。鉄工所の江口隆信・大町工場長は油流出について謝罪し「雨量が想像以上に多く、水位が上がるのが早かったため、防ぎきれなかった」と話した。
10月中旬から有明海ではノリ漁も本格化する。県有明海漁協の松尾修参事は「油の回収が進んで影響が出ないようにしてほしい」と話した。
油の流出と水質汚染に詳しい国立環境研究所海洋環境研究室の牧秀明・主任研究員(環境工学)は「油の揮発する成分は、臭いを発するため、気分が悪くなる人も出る」と指摘。マスクをつけ、風下には近づかないことが肝心という。
油は、揮発が進むと粘りけが出て固くなるという。一方、揮発しない成分もあるため、今回のように広範囲に及ぶ場合は田畑や家屋に残る可能性もあるという。牧主任研究員は「回収は時間との闘い。短期決戦で、水に浮いているうちにできるだけ回収しないといけない」と話した。(福井万穂)
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル